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手紙を読む 05 / 公開解説とたどる文書

島左近に任せていた、領国の仕事。

(1596〜1598年と推定)8月23日〈数え年37〜39歳〉石田三成 → 今井清右衛門尉

左近の名が残るのは、年貢の収納を命じた文書。
三成が家臣たちに任せた仕事を、宛先までたどって読んでみます。

三つの読みどころ

気になる項目を選んで読む。

資料解説から内容をたどる

長浜城歴史博物館の資料解説に基づく要約です。人名は同館の表記に従っています。

博物館の資料解説を読む

01 / 何を任せた?

年貢を収納するための、年貢率。

公開解説をもとにした要約

長浜城歴史博物館の解説が、この文書の主題として挙げるのは「免相」、つまり年貢率です。年貢を収納する際の指示が、三成の名で伝えられています。

戦いでの働きに目が向きやすい左近が、ここでは領国の政治を担う人物として登場します。

02 / 誰に任せた?

嶋左近・山田上野・四岡帯刀。

公開解説をもとにした要約

博物館の解説には、年貢率について命じられた三人の名が並びます。左近も、その一人です。

三成と左近の二人だけに注目していた視線を、ほかの家臣にも広げてくれる文書です。

03 / 誰へ伝えた?

宛先は、今井清右衛門尉。

公開解説をもとにした要約

三成は今井清右衛門尉に、三人の指示に従って年貢を収納するよう伝えています。博物館は今井を、伊香郡内の三成領の代官だったと推定しています。

役目を任せる相手と、その指示に従う相手。宛先まで読むと、仕事を動かす人のつながりが見えてきます。

名前をつないで読む

三成の指示は、誰に届く?

文書の差出人石田三成

年貢率について命じる

嶋左近
山田上野
四岡帯刀

この文書で伝える

今井清右衛門尉

三人の指示に従って
年貢を収納する。

長浜城歴史博物館の解説をもとにした役割の整理。右側が、この文書の宛先です。

戦場の外の左近

家臣としての姿が、一通に残る。

三成のそばにいた島左近。その関係を具体的な仕事から知る手がかりが、この今井清右衛門尉宛の文書です。ここには、年貢の収納に関わる左近の名が残っています。

博物館は、豊臣政権の奉行として多忙だった三成に代わり、左近らが領内の政治を行っていたことがうかがえると解説しています。三成が領国を治める姿を考えるとき、家臣たちが担った仕事も、その中に入ってきます。

この文書で注目したいのは、左近の名がある場所です。三成が仕事を命じた三人の中にあり、今井には、その三人の指示に従うよう伝えられている。名前と用件を一緒に読むと、主君と家臣の関係に具体的な輪郭が生まれます。

史料の内容と、三成の重臣としての左近の位置づけ:長浜城歴史博物館 。名前と用件に注目する読み方は、当サイトの整理です。

文書の日付

8月23日。年は、幅をもって読む。

博物館の目録は、この文書を「(慶長元~3年〈1596~98年〉)8月23日」としています。月日は8月23日、年は1596~1598年のいずれかと推定されています。

関ヶ原の戦いの2~4年前にあたる時期。1560年生まれとして数えると、三成は37~39歳です。年表ではこの幅を保ち、佐和山を拠点とした時期の仕事として位置づけます。

出典と読み方

このページで確認した資料。

資料名
石田三成判物 今井清右衛門尉宛
日付
(1596〜1598年と推定)8月23日
年齢
数え年37〜39歳〈年の比定に対応〉
所蔵
長浜城歴史博物館
登録番号
B1188
確認日
2026年9月18日
要約・人名・年代について

本文と図は、所蔵館が公開する資料解説に基づく当サイトの要約・整理です。原文の全文翻刻や、当サイトによる原文からの全訳は掲載していません。

人名は同館の「嶋左近・山田上野・四岡帯刀」に従っています。今井の役職と文書の年次は、同館の推定として紹介しています。月日は当時の暦、年齢は1560年生まれを前提とする数え年です。

もう一通、読む。

別の仕事、別の相手へ。

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