01 / 何を任せた?
年貢を収納するための、年貢率。
公開解説をもとにした要約
長浜城歴史博物館の解説が、この文書の主題として挙げるのは「免相」、つまり年貢率です。年貢を収納する際の指示が、三成の名で伝えられています。
戦いでの働きに目が向きやすい左近が、ここでは領国の政治を担う人物として登場します。
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01 / 何を任せた?
公開解説をもとにした要約
長浜城歴史博物館の解説が、この文書の主題として挙げるのは「免相」、つまり年貢率です。年貢を収納する際の指示が、三成の名で伝えられています。
戦いでの働きに目が向きやすい左近が、ここでは領国の政治を担う人物として登場します。
02 / 誰に任せた?
公開解説をもとにした要約
博物館の解説には、年貢率について命じられた三人の名が並びます。左近も、その一人です。
三成と左近の二人だけに注目していた視線を、ほかの家臣にも広げてくれる文書です。
03 / 誰へ伝えた?
公開解説をもとにした要約
三成は今井清右衛門尉に、三人の指示に従って年貢を収納するよう伝えています。博物館は今井を、伊香郡内の三成領の代官だったと推定しています。
役目を任せる相手と、その指示に従う相手。宛先まで読むと、仕事を動かす人のつながりが見えてきます。
名前をつないで読む
年貢率について命じる
この文書で伝える
三人の指示に従って
年貢を収納する。
長浜城歴史博物館の解説をもとにした役割の整理。右側が、この文書の宛先です。
戦場の外の左近
三成のそばにいた島左近。その関係を具体的な仕事から知る手がかりが、この今井清右衛門尉宛の文書です。ここには、年貢の収納に関わる左近の名が残っています。
博物館は、豊臣政権の奉行として多忙だった三成に代わり、左近らが領内の政治を行っていたことがうかがえると解説しています。三成が領国を治める姿を考えるとき、家臣たちが担った仕事も、その中に入ってきます。
この文書で注目したいのは、左近の名がある場所です。三成が仕事を命じた三人の中にあり、今井には、その三人の指示に従うよう伝えられている。名前と用件を一緒に読むと、主君と家臣の関係に具体的な輪郭が生まれます。
史料の内容と、三成の重臣としての左近の位置づけ:長浜城歴史博物館 。名前と用件に注目する読み方は、当サイトの整理です。
文書の日付
博物館の目録は、この文書を「(慶長元~3年〈1596~98年〉)8月23日」としています。月日は8月23日、年は1596~1598年のいずれかと推定されています。
関ヶ原の戦いの2~4年前にあたる時期。1560年生まれとして数えると、三成は37~39歳です。年表ではこの幅を保ち、佐和山を拠点とした時期の仕事として位置づけます。
出典と読み方
資料解説の全文と目録の年月日・所蔵・登録番号を確認しました。原資料の写真は、同館のページで見られます。
本文と図は、所蔵館が公開する資料解説に基づく当サイトの要約・整理です。原文の全文翻刻や、当サイトによる原文からの全訳は掲載していません。
人名は同館の「嶋左近・山田上野・四岡帯刀」に従っています。今井の役職と文書の年次は、同館の推定として紹介しています。月日は当時の暦、年齢は1560年生まれを前提とする数え年です。
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