01 / 誰のこと?
あなたがたの奥方は
現代語訳・当サイト
「御内儀」は、相手の妻を敬っていう言葉。「おのおの」「方」と、複数の人を指しています。
信州地域史料アーカイブの解説では、昌幸らの妻についての知らせとされています。
ことばを選ぶと、意味がわかります。
01 / 誰のこと?
現代語訳・当サイト
「御内儀」は、相手の妻を敬っていう言葉。「おのおの」「方」と、複数の人を指しています。
信州地域史料アーカイブの解説では、昌幸らの妻についての知らせとされています。
02 / 誰が、何をしている?
現代語訳・当サイト
「大刑少」は、大谷刑部少輔を略した呼び方。大谷吉継のことです。
ここでの「馳走」は、世話をすることを指します。誰が妻たちを世話しているかを、名前を挙げて伝えています。
03 / 何を伝えたい?
現代語訳・当サイト
妻たちの世話をする人を示したうえで、心配しないようにと伝えています。
同じ手紙には、挙兵の事情や協力の依頼も記されています。この言葉が届いたときの状況も、あわせてたどってみましょう。
まず、あなたがたの奥方は大谷刑部少輔がお世話していますので、ご安心ください。
上の一節を当サイトで現代語に訳したものです。
登場する人
書いた人
昌幸から届いた書状に返事をする。妻たちの様子や、上方の情勢を伝えた。
受け取る人
大坂方に応じる旨を三成へ知らせていた。この書状は、その知らせへの返事。
妻たちを世話する人
書状には「大刑少」と登場します。信州地域史料アーカイブは、真田信繁の妻の父と説明しています。同じ7月30日付の大谷の書状にも、昌幸・信繁の妻を預かっていることが記されています。
人物関係・関連書状:信州地域史料アーカイブ「三成ほか西軍諸将よりの書状」
届くまで
日付は当時の暦です。晦日は月の最終日で、この月は30日でした。
昌幸が大坂方に応じる旨を、書状で申し送る。
21日付の書状が、近江佐和山の三成のもとへ到着する。
挙兵を事前に相談しなかった事情を説明し、妻たちのことを伝える。会津へ向かう使者の案内も頼んでいる。
日付と書状の内容:上田市の解説・翻刻 / 信州地域史料アーカイブの目録
この一節が書かれたころ、大名の妻子の所在は、陣営との関係にも関わっていました。同時期の長束正家らや大谷吉継の書状には、人質についての記述もあります。
妻たちの世話を伝える言葉は、味方との関係を保ち、協力を求める政治的な連絡の中にありました。その状況と一緒に読むと、「ご安心ください」の響きも少し変わってきます。
背景に参照した史料:7月29日付の長束正家らの連署状・7月30日付の大谷吉継書状。上の説明は、公開訓読と解説を踏まえた当サイトの整理です。
出典
本文の翻刻と解説を確認。このページの引用文は、こちらの表記に従っています。
三成の書状と、同時期の大谷吉継・長束正家らの書状について、訓読と解説を確認。人物関係と政治的な背景を読むために参照しています。
資料名、差出人、宛先、日付、所蔵館を確認。原資料の画像は、アーカイブの画像ビューアでご覧いただけます。
古文書を活字にした公開翻刻から、一節を引用しています。原本画像から当サイトが独自に文字を判読したものではありません。表示の改行・ふりがな、現代語訳、ことばの説明は当サイトで編集しました。
上田市の公開ページは「大刑少」を「大谷吉隆」と注記し、信州地域史料アーカイブは「大形少(大谷刑部少輔吉継)」としています。引用は上田市の表記を保ち、人物の説明には後者の「大谷吉継」を用いました。
この一節の「御内儀方」は妻たちを指すため、現代語訳も「奥方」としています。妻子全員の状況を述べた文としては訳していません。
同じ手紙を、もう少し。
慶長5年7月晦日の書状を、三つの一節から読みます。
「御心安かるべく候」。妻たちを世話する大谷吉継の名と、安心を伝える言葉。
いま読んでいる一節「但し今は後悔に候」。事前に相談しなかった理由と、そのあとに続くお願い。
この一節を読む一人は返事を持って戻り、二人は会津へ。案内役と帰り道まで頼む一節。
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